むー太郎日記

ふわふわの毛が生えた30代男性の憂いと嘆き

皆目標があって働いていて、すごいなあ・・・と思った話

2月のはじめにとんでもない勢いで風邪をひいてしまい、1週間寝込んだ。

会社に戻ってきたら、しわ寄せというか、このタイミングで年度末を見据えた案件が舞い込んできたこともあり、遅くまで仕事をすることが続いた。

昨年の年末はとりわけ目が回る忙しさだったが、1月になったとたん、閑居してぼーっと働いていたので、久々にウンウンいいながら仕事をする。

友達が17:00には家に帰り、風呂に入ってビールを飲むなどしている様子をLINEで横目でみながら、夜、誰もいなくなったオフィスで見積を書くだのメールを返すだのしていると、自分だけヨノナカから取り残されて、ひとり残業をしているような気分になるが、やはりまあ錯覚である。

しかしながら、人間どうしても忙しくなったり大変な思いをすると、チクショウなんで俺ばっかり・・・という気分に陥りがちである。

 

 

先日、高校のプチ同窓会のような集まりがあり、クラフトビールを飲み放題できる店で赤ら顔になるまで飲みたくり、卒業ぶりに話をする機会があったのだが、めいめいに、それはもうシャカリキに働いているのを聞いて随分驚いてしまった。

そのうち一人などは、「俺はもう仕事が好きで仕様がない。毎日日付が変わる頃まで働いて、帰ったらソファで気絶。朝5:00にもなれば、提案書!と叫んで跳ね起きる。そんなことの繰り返しだ。」なんて言う。

 

その他にも、毎日2時間通勤しながら、家事育児。だとか、子供とは過ごしたいから、子供が寝たらまた職場に戻る。だとか、こちとら定時を全うするだけでもうヘトヘトだというのに、もう頭が下がりっぱなしである。

 

 

また、別の友人で転職した同期からも久々の連絡があり、妻が実家で過ごすので一緒に飲まないかと誘われる。

今度は焼きとんをかじりながら、ホッピーのナカとソトを入れ替わりで無限にグラスに注ぎ、またも赤ら顔になる。

彼は給与面に不満があり転職をした経緯がある。転職した先ではたしかに給与の待遇が良くなったが、やはり要求される仕事の質も高く、近頃では本来の開発業務に加え、セールスの数値目標をつけられたり、チームのメンタルケアをミッションとして与えられたり、ただでさえ首が回ってないのに、それが余計酷くなったと言う。

「それでも、家族のために40歳で年収1000万というのが一番の目標だから、今は頑張らないと」と言うのだから、感心してしまった。

小職はフワフワの毛玉であるため、その白い柔らか毛のようにフワフワと働いているので、そんなこと考えたこともなかった。

 

 

自分が何を目標に働いているのか、というのを、どうも用意しておいた方が良さそうだ。

そういうものがあった方が、自分を納得させられるし、何かあったときのために進退を決める指標になる。

啓発本を読んでいると『3人のレンガ職人』という話がよく出てきて、これはもう僕が本当に嫌いな話なのだが、レンガを積んでいる3人の職人に「何をしているのか?」と尋ねると1人目の職人は「レンガを積んでいる」と答え、2人目の職人は「金を稼いでいる」と答え、3人目の職人は「歴史に残る大聖堂を作っている」というやつである。

3人目の職人はイキイキと働けるので、皆さん3人目の職人みたいになりましょう、というのが論旨なんけども、誰しも自分仕事に社会的意義を見出して働くなんて土台無理な話だし、欺瞞めいた目的で自分を納得させるのにも限界がある。

大体、1人目の職人だって、「いやあ僕はレンガを積むのが本当に好きでね・・・レンガとレンガを重ねた時のあのジャリっとした感じ。たまりませんな」みたいな感じかもしれないじゃないか、やい!とも思う。

 

 

とはいいつつも、働く目標が明確になければ耐えられない!みたいな状況に追い込まれないように、うまくセーブすることが先決だと思うし、自分の仕事の意義なんて、それが社会を悪くするようなものじゃなければそれでイイジャン!と思っているんだけれども、しばらくはそんな感じで駄目でしょうか?どうでしょうか。

 

 

 

オフィスカジュアルの導入でスキルツリーが開放された話

当方白いふわふわの毛が生えた毛玉であるが、出勤時は流石にふわ毛一丁というわけにはいかないので、スーツを着る。

基本的にスーツとネクタイだったのだが、昨年から会社の方でオフィスカジュアルの解禁となった。恐る恐るといった感じで、セットアップと丸首の白シャツのいでたちで仕事をしてみたところ、思っていたより捗った。

朝の支度が楽だとか、過ごしやすいっていうのはもちろんそうなのだが、それに加えて何となく自分が拡張されたような気持になる。多少浅はかではあるが、オフィスカジュアルで仕事するなんて、仕事できるヒトみたいじゃん!と思ってしまう。

 

 

もともとは吊るしのスーツばかり着ていた。仕事で使うものにあまりお金を使いたくないという理由もあったし、そもそも、自分のようなレベルの人間には、見合った格好なのだと思っていた。

しかしながら、実際に装いを改めてみたところ、なんだかんだ言いつつ、僕という人間もそれなりに経験は積んできているし、なかなか捨てたものではないかもしれないな・・・?と、仕事に対する姿勢も前向きになったように感じる。

これはうれしい発見であった。

 

 

仕事に関する姿勢という話では、仕事術とか自己啓発系の本を読む機会も増えた。

一流だけがしている高速仕事術、だとか、習慣が変われば人生が変わる、だとか、GTDだとかGRITだとか、マインドセットだとかマインドフルネスだとかマインドスキャンとかマインドクラッシュとか、そういう本たちだ。

これも若いころなら、「意識高い系」と呼んで忌避していた。意識だけが高くて、中身が伴っていない人のことを揶揄した言葉だが、つまり、自分に対する自信がなかったのだなと振り返る。

 

 

中身が伴っているかどうかはともかく、意識だけ高くてもいいんだなというのが今回の学び。

スキルツリー開放しておかないとスキルポイントをスキルに振れないのだ。自分でも気づいてなかったけど、スキルポイント結構たまってたから、スキルツリーの開放で急にスキル使えるようになった。そんな感じ。

・・・なんか分かりづらいたとえになってしまった。

まあともかく、形から入るみたいなのが大事なときもあるし、格好つけて、中身の方が追い付いてくるパターンもあるよね。

自分の外殻を定期的に拡張していくのが大事だなと思いました。

 

昔ながらの中華そばみたいなバージョンアップがいい。

メインのWEBブラウザChromeを使っており、PDFのダウンロードが多いのだが、

最近になって、PDFファイルをダウンロードした際に、自動でAcrobatReaderが立ち上がり、ダウンロードしたPDFを表示するようになった。

PDFビューワは通常、「PDF XChange Viewer」を使っているので、既定のアプリが変わっちゃったのかな、と考えたのだが、そういうわけではなかったようで、設定を変更したところ、PDFダウンロード時にPDF XChange ViewerとAcrobatReaderの両方が立ち上がり、それぞれが同じPDFファイルを表示するという事態となった。

何なのだこれは。ググったが同じような現象がヒットしない。

Adobeのバージョンアップのタイミングで、変な拡張機能かなんかが入ったのかなあ等と思いつつ、Acrobatをそっとアンインストールすることにした。

Adobeもいろんなバージョンアップで大分動きがモッサリするようになったよなあ。よくわからない機能も増えたし。昔はもっとサクサク動いていたような気がする。

 

 

Windowsなんかも、これは思い出補正かもしれないけど、XPとか98のほうがひょっとしてサクサク動いてたんじゃないの、という気がしてくる。
それはちょっと言い過ぎか。でも、当初Win10モデルで買ったPCが、「ユーザーエクスペリエンス向上のためのフィードバック」だとか「キャッシュの処理」だとか「Updateの後処理」なんかで、リソースがカツカツになっちゃってたりするのを見ると、何か間違ってるよなあ、と思ってしまう。

機能改善の結果なんだろうか。

 

 

オトナの世界というのは、往々にして常に改善・向上を求めらるものだ。売上を伸ばせ!とか利益率を向上しろ!とか生産性を上げろ!とか他社と差別化しろ!とかそういう言葉が飛び交う。僕の少ない経験上だが、「去年通りでいいよ」とか「今までよりちょっとマイナスにしましょう」みたいな方針で進む仕事っていうのは、どちらかと言うと少ないんじゃないだろうか。

改善や向上っていうのは、それ自体は良いことだと思うんだけども、それが行き詰まったときにおかしなことになっちゃう、みたいなのはよくあることみたいだ。

ニコニコ動画も生放送とかプレミアム会員とかその他いろんなコンテンツがいっぱいできて(それを楽しんでいる人、すみません…)昔のシンプルな、動画にコメントが流れるだけの方が面白かったよなあ、と思っちゃうし、ゲームなんかも息が長いタイトルになると、作品ごとに新しい要素が追加されて行って、新規プレイヤーが参入しづらくなっているものがいっぱいある。

 

 

とはいえ、何にも変えないままでずっと続ける、というのも良くないようだ。

以前読んだ東海林さだおさんの本で、色んなラーメン屋にインタビューした内容を書いたものがある。確か東京のラーメン屋さんだったと思うのだが、そこは昔ながらの中華そばを売りにしており、やってくるお客さんは「10年通っているけど、大将のラーメンは変わらない味でおいしいね」なんて言って喜ぶのだけれども、大将に言わせてみれば、ちょっとずつラーメンの味は工夫して変えていっているので、10年前のラーメンと今のラーメンでは、てんで別物になっちゃってる、とのことだ。

なかなかおもしろい話だな、と思った覚えがある。

 

 

ラーメンにトンカツのせるようなバージョンアップも、それが美味しければ良いんだけれども、どちらかというと上記のラーメンのような、気づかれないようなレベルのもののほうが大事だったりするんだろうな、と、無理やりラーメンに例えることでお茶を濁し、このおはなしはオシマイである。

 

 

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追記:

文頭Arcobatの問題が解消したので覚え書き。

AcrobatReaderを開いて

環境設定>一般>基本ツール の

ChromeブラウザーでPDFがダウンロードされたとき、ReaderでそのPDFを自動的に開く」のチェックボックスを外すと解消。

 

まさかAcrobat側の設定だったとは。

どっちにしろ更新のときにしれっと設定も一緒に変えるのやめてほしい。

気づいたら終わっていた去年を悔い、今年の目標をたてる。

必要なのは「目標」と「計画」なのだ!

ふわふわの毛が生えた30代おじさんたる僕は、ふわふわの毛におおわれた拳をにわかに固く握りしめた。

 

思えば2023年は、忙しい忙しいと言いつつ毎日行ったり来たりしているばかりで、終わってみると、結局何が忙しかったんだかよくわからない。何も残らないまま終わってしまったような気がする。

忙しいとやることなすことが、漫然・散発的になり、中途半端になってしまう。これではいけない。

 

たまに本屋に行くときに、「最強の仕事術」だとか「夢がかなうなんちゃらかんちゃら」みたいな本が並んでいるあたりで立ち読みをすることがあるのだが、そういった本のどれにも、「目標と計画が大事ですよ」といったことが書いてある。

長期的な目標があり、そこに至るまでのマイルストーンとしての中期的な目標があり、それをブレークダウンすると、今日すべきことがわかるーーーこういうことが全部の本に書いてある。

まったくその通りだと思う。

仕事でもプライベートでも、やりたいことや、タスクは書き出してみるのだが、ずらりと並んだそれを見ると、急に焦りだして今日中に終わらせようと手当たり次第にやり始めるのだが、優先順位も期限の設定もないので、てんでバラバラで終わらず、「やらなきゃ・・・」と言いつつウーン・・・と唸りつつ過ごす、そんな日々である。

 

計画を立てるのは苦手であるので、とにかく今年の目標だけでも決めてみたいと思う。

 

AWSの資格取得

会社でAWS系のサービス扱いが始まり、資格取得が推奨されるようになった。

ことあるごとに「資格、もう取りました?」と聞かれるので、その度に静かに微笑み誤魔化していたのだが、そろそろ本腰を入れて取り組みたいと思う。

資格取得者はちらほらいるのだが、本格的に取り扱える要員はまだいないので、実践的なレベルまでモノにできれば、アドバンテージになりそうだ。

 

お気に入りの音楽を100曲増やす

Sportifyの年末の「今年よく聴いた曲・アーティスト」が、1年前のものとほとんど一緒であった。

情けない!俺は1年間何をやっていたんだ!

音楽も、漫然と聴いているといつも同じものを聴きがちで新しい感動がない。

 

お気に入りを100曲は増やしたいところだ。

あまり聴かないジャンルにも挑戦したい。

 

運動の習慣

もともとそんなにムキムキじゃなくていいとは思っていたのだが、運動というものをほとんどせずに済ませてきたのだが、近ごろはおなかが出てきたので看過できない・・・

運動をしたほうがいいだろうな・・・足腰鍛えたほうが年を取った時にぼけにくいっていうしな・・・などと途方もないことを考えつつも、一方では「筋トレ最高!筋肉こそ最強のソリューション」といいつつニコヤカにジム等に通っている人を羨ましくも思う。

 

3つも目標立てちゃって、全部は無理かもしれないな。

まあ2つくらいは達成できるといいな。まあ目標はあくまで目標だから達成できなくてもいいよね。

こういうのはあんまり追い詰めすぎてもだめですよね。

そんなゆるい感じで、今年もスタートしていくのであった。